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vol.140 良き変化への願い

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Denngonnbann 2015 vol140

良き変化への願い

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今年のゴールデンウィーク、宍戸は5月8日〜10日、鈴木はカレンダー通りのお休みとさせていただきました。公表なしでのお休みとなりましたこと、お詫び申し上げます。

右の写真は2誌ともに、今年5月9日の新聞です。
上は、河北新報(かほくしんぽう)という本社のある仙台市内、宮城県からの視点で書かれた地方紙です。私は、この新聞を仙台市内の宿で受け取りました。

衝撃でした。
中居さんが、当たり前のように「今日の新聞です」と笑顔で渡してくれたとき、「これは?いつの新聞?」と思うほどでした。一面に震災関連の記事、紙面を読みすすめても、私たちが普段の生活からは聞こえてこないような情報に、驚くばかりでした。 被災地の情報は、日を追うごとに目に、耳にする機会が減り、自身の心寄せることがなければ忘れられてしまうほどにまで「風化」が忍び寄っていることに気づき、ショックでした。同日発刊の読売新聞を読んだとき、これが東京の今。

私自身、便利優先の生活をし、省エネ商品であることを打ち出されれば、より良きものと思いいち早く取り入れ、生活を楽しむアイテムを試し、評価してみたり。そんな、最近では当たり前化している充実した暮らし。経済が上向き傾向であるとの報道に、確信は持てなくとも、どこか安堵するような現在。でも実際には、いまだ仮設住宅で生活をしている多くの方々は、家族も家も仕事も暮らしも奪われそれでも、懸命に自分の生活や、まわりの復興に尽力している。大きな見えない隔たりを感じざるを得ませんでした。

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今回、お休みをいただいて宮城県へ向かったのは、宍戸と同じく義兄のふるさとへの訪問が目的にありました。(義兄は長女の夫。宍戸は6人兄弟の末っ子です)
宍戸の両親が、義兄の経営する水道工事店にときっかけをくれ、10年以上をかけ多くの経験を通し技術を叩き込んでくれた恩人です。
数年前から、大腸がんに侵されていながらも昨年3月には弊社の工事で、抗がん剤治療の後、駆け付けてくれた義兄。写真はその時の工事の写真です

仕事柄、たくさんの職人と呼ばれる人に出会ってきましたが、義兄のような「根っからの職人」には、今後出会えるとは思えないというほどの人です。
アイデアマンでもある義兄は入院当初、病院ではちょっとした有名人でした。どうしたら楽にベッドから起き上がれるか、なにをどうしたら・・・と、常に考え実行に移し、医師や看護師さんたちが見学に来るほどでした。
私たち兄弟は「そうだろう お兄さんが黙って入院しているわけがない」と。がん告知から、手術や入院をしましたが、それ以外は、すべて仕事をしているという鉄人ぶり。屈託のない笑顔と、体力に、行動力、揺るぎのない技術力の高さ。

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仕事において、一切の妥協を許さない義兄に一から育ててもらったからこそ、今の宍戸がいます。
今月5日、義兄の家で一緒にテレビ(リフォームの番組でした)を見ながら「あれはダメだろう!あれは、本来こうするべきだ!」と熱く語り、「8日から田舎に行ってくるよ。たくさん写真を撮ってくるから」と笑顔と握手で別れ、、、

8日、一関〜若柳〜栗原などゆかりの地を訪ねました。
そして9日の朝。仙台の宿で義兄の訃報が。
やすらかで、ただただ寝ているようにしか見えない義兄に、ほほを寄せる宍戸。
恩返しもできぬまま、早すぎる旅立ちに、もう何も言葉がでませんでした。
9日の朝宿で受け取った新聞に、故郷の細倉鉱山住宅の記事がありました。義兄が若かりし頃、細倉鉱山での生活がどんなものであったかをたくさん話してくれたのは今年のことでした。
宍戸は、昨年のイキイキと作業着姿で働く写真と、この記事と初めて書いた手紙を棺に納め見送りました。

時代が動いているのだと感じたという宍戸。
義兄に「孝治!よくやってるな。頑張ってるな。」と言ってもらえるように、だれが見ていなくても、誠実な仕事をすることが、裏切ることのない自分の技術になると教えてくれた。そんな義兄に恥ずかしくない「仕事人」になることが、恩返しと信じ頑張ると誓った。息子が跡を継ぎ、大きすぎる大黒柱を失いながらも、頑張る姿を義兄は喜んでいると思う。
そう信じて、一緒に頑張っていきたい。

少子高齢化という波は、身近な問題であると思うと同時に、今回宮城県を訪れてみて、改めて思う地方との格差。まず「人」がいない。
若柳のご住職も、「人も墓もみんな離れてしまう」といい、「店もどんどん無くなって」と。栗原の親戚も「車が運転できなければ、どこにも行けないが、目的の場所ごとなくなってしまうので、どうしようもない」と。子どもとか、年配者とかではなく、とにかく「人」「店」「仕事」「町」震災以降、その変化の激しさは、桁違いだと感じました。

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そんな中、頑張っているたくさんの人たちがいます。
「くりでん」の愛称で親しまれていた「くりはら田園鉄道」が廃線となったのは平成19年。「つなぐ・結ぶ!」をキーワードに頑張る熱い思いの人たちがいました。
今年は、くりでん生誕から97年目。
田園風景の中、「くりでん若柳駅」では片道900メートル区間を走り、さまざまなイベントが行われています。宍戸も、小さいころよく乗ったという「くりでん」が今もこうして、たくさんの人々に支えられ、親しまれていることに感動していました。 下の写真は、週末に行われるイベントの準備をしていた栗原市役所の職員の方です。

宮城県栗原市 企画部企画課 電話:0228-22-1125

故郷の風にふかれ、親戚の家で食べる山菜の煮物の懐かしい味、土の香り、どれも自分をはぐくんでくれた大切な宝物。
時代は流れても、変化はあっても、今生きていることに感謝しないと何も始まらない。
故郷は、そんな原点を教えてくれた。東北人の底力、がんばる東北を応援する思い叶えるためにも、
今日も〜明日も〜いざ!お声をかけてくださるお客様のもとへ!

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